ちょっと勉強してみませんか、フランス語の数の体系、
フランス語使用、フランス語教育の現在
目 次

ルッソン 0 : 石原都知事のおっしゃる「フランス語」
ルッソン 1 : 60+10、4×20の由来――英語にもあった20進法
ルッソン 2 : フランス語を使用している国と地域
ルッソン 3 : 「フランコフォニー」の簡単な年譜
ルッソン 4 : 一体、世界のどのくらいの人々がフランス語を使っているのか?
ルッソン 5 : 日本ではどのくらいの人々がフランス語を学んでいるか?
ルッソン 6 : 石原都知事仏語発言に関する海外メディアの反応


ルッソン 0 : 石原都知事のおっしゃる「フランス語」

石原東京都知事――「フランス語は数を勘定できない言葉で・・・」

>> いうまでもなく、できます。

石原東京都知事――「〔フランスは〕過剰に自国語に自信を持ち過ぎて、ろくに数の勘定ができないフランス語というのは、やっぱり国際語として脱落していきました」「国際語として失格しているのも、むべなるかな」「かつて外交官の公用語としてフランス語というのは幅をきかせたけれども、世界が狭くなっていろいろな問題が出てきてね。〔・・・〕そういうことから〔フランス語は国際語として〕だんだん外れていったんですよ」

>> フランス語は、現在、世界60カ国以上の国々で話されています。

>> フランス語は、国連公用語の一つです。

>> フランス語は、英語とならぶ国際オリンピック委員会(IOC)の公用語で、IOCのすべての会議は英仏二カ国語で運営されています。
東京都がオリンピック開催地に立候補するくらいですから、もちろん、都も都知事も、このことは御存知でしょう。

>> 国際郵便条約では、フランス語が正文と定められています(以下、税関の「票符」参照)。

>> こんなこと、逐一列挙するのもバカバカしいくらいですよね。
 

石原東京都知事――「タヒチとか、かつてフランスの属領だったところ、今でも植民地かな、あそこに行くと原住民たちは〔70「セッタント」、80「ユイッタント」など〕実に合理的にフランス語を変えて使っていますよ」

>> タヒチ
(フランス語読み「タイティ」、古くは「オタヘイテ」)島は、フランス保護領(1843年)、オセアニア・フランス植民地(1885年)を経て、1946年、ド・ゴールの「フランス連合」の内部にとどまり、1958年以来、「フランス海外領土」(TOM)です。中心都市はパペーテ。人口は1999年の統計で24万2073人。「海外領土」は「共和国の利益の総体におけるその固有の利益を考慮して、特別の組織を有する」として、「海外県」(DOM)に比べてかなりの自治権が認められています。

>> タヒチの住民
(「原住民」よりも「先住民」「現地人」という方が今日では一般的です)は、フランス語とタヒチ語を公用語としていますが、使用されているフランス語は(数詞も含めて)、あくまでもフランス共和国の海外領土としてフランス本土のフランス語とまったく同一です(別頁、タヒチでの数の数え方に関してタヒチ在住の方からのeメールを参照)。

>> 70=septante, 90=nonante が使われているのはスイスとベルギーです。80=huitante(かつてはoctanteも)はスイスの一部の地域で使われます。都知事、ひょっとすると、タヒチでスイスのある特定の地域からいらしたご老人と出会われ、フランス語で相互の年齢でもご確認なさったか・・・?

石原東京都知事――「〔フランス人は、こちらが〕片言のフランス語を話すと知らん顔をしてわからないようなふりをする。」

>> それが「知らん顔」であり、わからない「ふり」であることを、一体どうやって確かめるの? わからないものは、単に「わからない」だけなのでは?

石原東京都知事――「今日ではかなり地方に行きましてもフランス人もまた英語をしゃべらざるを得なくなって、フランス人の非常に頑迷な国民性もだいぶ変わってまいりました。」

>> 国民性なるものは(そういうものが本当に存在するとして)、どこでも多かれ少なかれ「頑迷」なものだから、「・・・性」と呼ばれるのでは? それが、媒介語、道具としての英語を話すようになったくらいで、そんなに易々と変わるものなの? そもそも、自分の国(地域)の言葉に誇りを持つこと、それを大切にしたい、大切にしてほしい、と思うことが、「頑迷」の名に値することなの?

石原東京都知事――「都立大にはドイツ語やフランス語の教員はいっぱいいるのに学生は数人またはゼロ。」「調べてみたら、〔東京都立大学には〕8~9人かな、10人近いフランス語の先生がいるんだけど、フランス語を受講している学生が1人もいなかった。」

>> 調べてみたら、旧・東京都立大学において、
フランス語を学ぶ学生は、毎年、数百人(延べ数で千人超)の規模で存在し(平成15年度、延べ1019名)、人文学部フランス文学専攻に在籍する学生の数(昼間部・夜間部の上限定数、各学年それぞれ9名・3名)がゼロであった年度は一度もなかった。大学院をあわせて、常時、数十名の学生がフランス語を専攻していた(平成15年度に学部(2~5年)29名、大学院22名)。

>> 2005年4月に発足した首都大学東京でも、
1年生304名(延べ656名)がフランス語を選択し、2年生以上の学生(旧大学在籍)延べ220名が中級以上のフランス語を継続している。

>> 旧・東京都立大学におけるフランス語の専任教員数は、もっとも多い時で12名(英語31名、ドイツ語18名に対して)。以来、6名が他大学へ転出、1名が退職して、現在5名。首都大学東京には、うち4名が就任を承諾し、人員配置の完成時には2名になる予定であるという。都立四大学の統合により、入学定員も1・5倍に増え、それにともなって増加したフランス語のコマ数、流出した専任教員の担当分は、結局、非常勤講師によってまかなわれているという。

石原東京都知事――そういう言葉にしがみついている手合いが〔東京都立4大学の廃止と新大学の設立案に〕反対のための反対している。笑止千万だ。

>> 旧・都立大の仏文の先生方が東京都に対して最後まで諦めずに主張したのは、国際都市東京都の新大学たるもの、フランス語を中心に学ぶ学部専門コースから、フランス、フランス語圏に関する博士論文の指導、受理、審査まで、責任を持って担当することのできる部局を、どんなに小規模でもよいから備えていても不思議はない、という点であったらしい(大学院の専攻課程には最低5~6人のしかるべき専門家がそろっていなければ、その資格がないのだそうだ)。

石原東京都知事――「先進国の東京の首都大学で語学に対する学生たちの需要というのも、フランス語に関しては皆無に近いということは、残念だけじゃなしに、フランスもそういう事実というものを認めて・・・。」

>> 実数にして数百人、延べ数にして1000人以上がフランス語を受講しているのに「一人もいない」とは、いやはや、なんとも気前の良い「切り捨て」計算。そもそも、日本全体のフランス語需要のなかで、「先進国の東京の首都大学」に限りそれが「皆無に近い」とは、これまた一体なぜ?
(以下、「ルッソン 5 日本ではどのくらいの人々がフランス語を学んでいるか?」を参照) しかも、フランスが(もっぱらフランスだけが)その「事実」とやらを認めなければならないのは、一体なぜ?

>> やっぱり、ちゃんと勉強しましょうね。フランス語使用、フランス語教育の現在。

ルッソン 1 : 60+10、4×20の由来――英語にもあった20進法

 ではまず、昨今話題騒然の「数」のお話から。

 ベルギー、スイス(タヒチではなく)のフランス語における「セッタント、ユイッタント、ノナント」の使用については先述のとおり。では、ベルギー、スイスのフランス語とまったく同様、大部分ラテン語を基礎としているはずのフランスのフランス語において、ラテン語の septuaginta, octoginta, nonaginta が継承されなかったのはなぜか?

 実は、中世からずっと、17世紀、アカデミー・フランセーズによるフランス語の規格化を経たあともなお、18世紀、あるいは19世紀の初頭まで、フランスのフランス語でも、septante, huitante, nonante という数詞は用いられておりました。

(用例)  
 ドリアント――計算はぴったりですわ。全部で5千60リーヴル。
 ジュルダン氏――それから、千8百32リーヴルは、あなたの羽根細工師に。
 ドリアント――そのとおり。
 ジュルダン氏――2千7百80(quatre vingts)リーヴルは、あなたの仕立屋に。
 ドリアント――たしかに。
 ジュルダン氏――4千3百79(septante neuf)リーヴル、12ソル、8ドゥニエは、あなたの御用商人に。
                                                モリエール『町人貴族』(1670年)第三幕第4場







(用例)
そこでエゼキエルは、390日(trois cent nonante jours)間、左腹を下に、40日間、右腹を下にして寝た後・・・・・・。
                  ヴォルテール『ボーリングブルック卿の重要なる検証』(1766年)

   

   

 しかし、それと平行してケルト起源といわれている20進法も頻繁に用いられておりました。

(用例)    
240=12×20 XII vins(12世紀、ジョワンヴィル)
280=14×20 XIIII XX(同)
272=13×20+12 treize vingt et douze(12世紀、ル・ルー・ド・ランシー)
300=15×20 quinze-vingts(1254年、聖ルイ王が「十字軍からの帰還負傷兵三〇〇人のため」として設立した「カンズ・ヴァン病院」)
120=6×20 six-vingts(1668年、ジャン・ラシーヌ『訴訟狂』第一幕第7場)
70=3×20+10 trois-vingt-dix(1692年、ル・ミュスの教区古文書)
39=20+19 vingt-dix-neuf(1813年、サン=ジャン・ド・ブーニェの戸籍謄本)








   
 簡単に言えば、その起源以来、フランス語は10進法と20進法を併用していたわけですな(20進法にもとづく数詞は、フランス語だけでなく、バスク語、ブルトン語、デンマーク語でも採用されていますし、コーカサス地方の一部の言語にも例が見られるそうです)。

 ところで皆さん、南北戦争の最中の1863年,ペンシルヴェニア州ゲティスバーグで行われたリンカーン大統領の有名な演説を御存知ですか? そう、あの「人民の、人民による、人民のための政治」という名文句で締めくくられている「ゲティスバーグ演説」。アメリカの子供たちが「独立宣言」と一緒に暗誦させられる、あの演説です。「どう? この中で、アメリカに『NO!』と言ってみたことのある人、いる? 手を挙げてごらん? じゃ君さ、あの演説の冒頭部を英語で言ってごらん。」

"Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation ,conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. "

4スコアと7年前、私たちの祖先たちはこの大陸に、自由の理念から生まれ、すべての人が平等に創られているという命題に捧げられた一つの新しい国を生み出しました。」






  はい、よくできました。

 ここで、scoreは「点数(スコア)」という意味ではなく、単に古英語の「20」であり、4×20=80、プラスseven years ago で、要するに「87年前」といっているのです。「それじゃあ、君さ、そうそう、同じ君。1863マイナス87は? そう、1776、アメリカ独立の年だよね。」

 寺澤芳雄編『英語語源辞典』には、「スコア」は「英語でははじめ「20」の意味に用いられた。この意味は、羊などを数えるのに棒きれに20ずつ切れ目をつけたことから生じたのであろう」という語源解説が引用されています。

 結局、60秒が一分、60分が一時間、24時間が一日、7日が一週間、12個が一ダース、6尺が一間・・・と言っているように、何かを数えたり計ったりするに際しては10進法以外の「進法」の方が馴染む、便利、とされた文化があった(そして今もある)ということ、そして、「8×10+7」と言うよりも「4×20+7」と言った方が、「さすが、リンカーン様じゃ」とされた時代があったということです。「一時間半」よりも「90分」と言った方がいい時もあれば、「45日」よりも「一ヶ月半」と言った方がわかりやす時もある・・・。「考えてみれば、「10」の根拠だって、両手の指の数という偶然にすぎないのかもしれず、足の指まで入れれば「20」だって根拠になるじゃあありませんか。キリスト教の世界には、三位一体の「3」と四枢要徳の「4」を組み合わせた面白い7進法と12進法の文化もあるほどです。

 ちなみにフランス語では一週間のことを「8日間」といいます。ありゃ、これはまずいかな? 今度は「一週間の日数も数えられない言語だ」なんて言われちゃいそう・・・。しかし、これだって、月曜日から月曜日までと考えれば、「足かけ8日間」。その度に人生が1日長くなるわけです。

 さて、話を戻してフランスの17世紀、ヴォージュラ、メナージュなど、アカデミー・フランセーズの面々が中心となって、フランス語の統一、規格化作業に着手した際、60までは10進法、70から99までは20進法という現在の体系が正規の語用として採用されました。厳密にいうと、「69」までは20進法が駆逐された、ということですね。なぜ、そのような中途半端なことを?という問いに対しては、はっきりした答えは見出せません。とにかく、そう決めた人々にとって、70以上については「セッタント」よりも「ソワサント=ディス」、「オクタント」「ユイッタント」よりも「カトル=ヴァン」方が「一般的である」と思われたにちがいありません。ひとつの言語を深く研究したことなどない人でも、言葉におけるイレギュラー性が、人の好み、その場の多数決、「一般的」なるもののとらえ方、言い易さ、他の単語との関係など、恣意、偶然としか言いようのないものに左右されるものであるという点は、そう無理もなく理解できるのではないでしょうか(たとえば、nonanteという言葉は、どうしても「修道院の尼さん」nonnainという戯語を連想させてしまいます)。

 ちなみに、その後、歴代アカデミー・フランセーズ編纂のすべての辞書に、septante, octante, nonante という、ラテン語から導き出された10進法にもとづく数詞もきちんと登録されている、ということもつけ加えておきましょう。

 1945年、ナチス・ドイツ占領から解放された直後、フランス共和国臨時政府の文部省は、部分的な20進法をやめて、「セッタント」「ユイッタント」「ノナント」の完全10進法を採用すべきである旨、提言したこともあったそうですが、この時はうまく行かなかったようです。結局は「慣れの問題」ということで、無理な「押しつけ」はかえって混乱の種になると考えられたためでしょう。御上が決めても、一般の人々が使わなければどうにもならないものですからね、言語というのは。
ましてや、どこか余所の「先進国」の首都の長が、「合理化の努力をすべき」などと口を挟む筋合いのものでないことはたしかでしょう。少なくとも、かねがね石原都知事がご心配なさっているように、「科学技術の討論をしたり、協定したりするときに非常に厄介」という問題は生じていないようですので、ご安心を。


ルッソン 2 : フランス語を使用している国と地域


「フランス語圏国際組織」ホームページ http://qatarfrancophonie.free.fr/cartfranc.html より

  フランス海外県(DOM)・海外領土(TOM) 公用語・準公用語 通用語
ヨーロッパ   フランス、ベルギー、ルクセンブルク、モナコ、スイス

アルバニア、アンドラ公国、オーストリア、ブルガリア、クロアチア、ギリシア、ハンガリー、マケドニア、ポーランド、チェコ、ルーマニア、スロバキア、スロベニア

北アメリカ サン=ピエール・エ・ミクロン(DOM) カナダ  
カリブ海 グアドループ(DOM)、マルティニーク(DOM) ハイチ ドミニカ国、セントルシア
南米 仏領ギアナ(DOM)    
北アフリカ     エジプト、モロッコ、チュニジア
西アフリカ   ベナン、ブルキナ=ファソ、コート・ジボアール、ギニア、マリ、モーリタニア、ニジェール、セネガル、トーゴ カーボベルデ、ギニア=ビサオ
中央アフリカ   ブルンジ、カメルーン、中央アフリカ、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、ガボン、チャド サントメ=プリンシペ
東アフリカ・インド洋 レユニオン(DOM)、マイヨット(TOM) コモロ連邦、ジブチ、マダガスカル、ルワンダ、セイシェル モーリシャス
中東     レバノン、
NIS     アルメニア、グルジア、リトアニア、モルドバ
オセアニア ニュー・カレドニア(TOM)、仏領ポリネシア(TOM)、ワリス・エ・フトゥナ(TOM) バヌアツ  
アジア     カンボジア、ラオス、ヴィエトナム

(ここに掲げられた国は、あくまでも「フランス語圏国際組織」加盟している国にすぎません。たとえば1830年から百何十年もフランスの植民地とされたアルジェリアは含まれておらず。http://rolrena.club.fr/Francophonie.phpを参照)


ルッソン 3 : 「フランコフォニー」(フランス語圏、フランス語使用、フランス語を話すこと)の簡単な年譜

できごと
1880年 フランスの地理学者オネジム・ルクリュ(1837-1916)が『フランス、アルジェリア、植民地』の中で、さまざまな資格でフランス語を用いている個人ならびに国の総体を指すものとして「フランコフォニー」(francophonie)の語と概念を提唱
1950年 「フランス語ジャーナリストならびに出版業世界連盟」(UIJPLF : l'Union internationale des journalistes et de la presse de langue francaise)設立
1960年 ディオリ・ハマニ(ニジェール初代大統領)、ハビブ・ブルギバ(チュニジア初代大統領)、レオポルド・セダル・サンゴール(セネガル初代大統領)らが、文化と言語の絆を介してフランスとの良好な関係を築くことを目的とし、フランス植民地から独立を果たした国々の連帯を呼びかける。
同年 「フランス語使用国国民教育大臣会議」(CONFEMEN : la Conference des ministres de l'education nationale des pays francophones)発足
1961年 モントリオールにて、「部分的ないし全面的フランス語使用大学連合」(AUPELF : l'Association des Universites Partiellement ou Entierement de Langue Francaise)発足。
1962年 フランスの雑誌『エスプリ』、特集「現代語としてのフランス語」を組む。これをきっかけに、80年前に提唱された新語「フランコフォニー」が脚光を浴びることとなる。
1967年 「フランス語国会議員国際協会」(AIPLF : l'Association internationale des parlementaires de langue francaise)発足。
1969年 「フランス語教員国際連合」(FIPF : la Federation internationale des professeurs de francais )、「フランス語使用国青年スポーツ大臣会議」(CONFEJES : la Conference des ministres de la Jeunesse et des Sports des pays francophones)発足。
1970年 ニジェール、ニアメー会議で、フランス語圏初の政府間組織「文化・技術協力機関」(ACCT : l'Agence de cooperation culturelle et technique)発足。
1979年 「部分的ないし全面的フランス語使用国の首都・大都市市長国際協会」(AIMF : l'Association internationale des maires et responsables des capitales et metropoles partiellement ou entierement francophones)発足
1986年 第1回フランス語圏サミット、パリで開催(世界81カ国が参加)。
同年 フランスの既存テレビ局数社の出資により、ケーブルならびに人工衛生によるフランス語テレビ放送「TV5」(テー・ヴェー・サンク)が開始。
1987年 第2回フランス語圏サミット、カナダ、ケベックで開催。これを機に、世界40カ国に関わる「フランス語使用網大学」(UREF : l'Universite des reseaux d'expression francaise)発足。
同年 「フランス語使用共通国エネルギー研究所」(IEPF : l'Institut de l'energie des pays ayant en commun l'usage du francais)の創設により、農業、エネルギー開発の面で共同路線が築かれる。
1989年 第3回フランス語圏サミット、セネガル、ダカールで開催。
同年 エジプト政府ならびにフランス語使用国の寄付により、アレクサンドリアに「サンゴール大学」開校。
1991年 第4回フランス語圏サミット、パリで開催。カンボジア、ブルガリア、ルーマニアが初参加。政治面での連携を強化するため、各国元首代表からなる「フランス語圏常設評議会」(CPF : le Conseil permanent de la Francophonie)を設置。
1993年 第5回フランス語圏サミット、モーリシャス、グランド=ベーで開催。南=北間、南=南間の協力体制の必要性が確認される。
1995年 第6回フランス語圏サミット、ベナン、コトヌーで開催。
1996年 モロッコ、マラケシュで開かれた各国大臣会議において「フランス語圏憲章」採択。
同年 「文化・技術協力機関」(ACCT)が「フランコフォニー機関」(l'Agence de la francophonie)として再編。
1997年 第7回フランス語圏サミット、ヴィエトナム、ハノイで開催。
1998年 ブカレストで開催された各国大臣会議にて、組織名として正式に「フランコフォニー国際組織」(OIF : l'Organisation Internationale de la Francophonie)が採択される。
1999年 第8回フランス語圏サミット、カナダ、モンクトンで開催。
2002年 第9回フランス語圏サミット、ベイルートで開催。新・事務総長にアブドゥー・ディウフ(セネガル)が選出される。
2004年 第10回フランス語圏サミット、ブルキナ=ファソ、ワガドゥグで開催。
2006年 第11回フランス語サミット、ブカレストで開催予定。会議のテーマは「情報社会に向けたフランコフォニー、万人のための教育による知」。

ルッソン 4 : 一体、世界のどのくらいの人々がフランス語を使っているのか?

 ならば、現在、地球上に住む約65億人の人々のうち、一体、何人がフランス語を使用しているのか? たしかに、フランス語を「公用語」として用いている国や地域の人口を足し算していくことはできますが、「通用語」として認めている国の人口についてはそうはいきません。フランス語が「通用語」として認められていない国や地域(たとえば日本)にも、いうまでもなくフランス語使用者は存在します。ある言語を「使用する」というのが一体どういう状況を指すのか、定義も定かではありません。ある国のある町で、ホテルでも市場でもフランス語が通じたからといって、その町の住民全員をフランス語使用者とみなすことは到底できない相談です(実際には、その程度の調査によって「○○語使用者」の数がはじき出されているケースもあると聞きますが)。

 『英語を学べばバカになる』(光文社新書、2005年)の著者、薬師院仁志氏がいみじくも述べておられるように、たとえ英語を公用語、準公用語として掲げている国が世界中にたくさんあったとしても、識字率、公教育の普及率という峻厳なる現実を考慮に入れるならば、「英語使用者」としてその国の人口を計上することはできないわけです。同じことはフランス語についても言えるでしょう。
 しかし、「実数がつかみにくい」「定義が曖昧である」とばかり言っていてもはじまりませんから、フランスの雑誌『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』(2005年3月20日号)から、最新の話題をちょっと拾い出してみましょう。

2005年3月20日、世界5大陸で同時開催される「フランコフォニー(フランス語圏・フランス語使用)国際デー」に向けて発表された公式報告書によると、世界のフランス語人口は、およそ1億7千500万と推定される。
 うち、1億1千500万人は、毎日のようにフランス語を用いて暮らしている人々、残る6千万人は、いわゆる「部分的」フランス語使用者であるとされる。
 使用者の数は、全体的に、サハラ以南のアフリカとインド洋地域で増加傾向にあり、逆にカリブ海、とりわけハイチにおいては減少傾向にある。
 フランス語教育は、とりわけアフリカ大陸と中東で進展が見られ、世界の他の地域においては現状維持、ないし、やや低迷状態にある。
 小学校から大学までの教育機関でフランス語を学んでいる生徒、学生の数は、89.634.000人で、1998年の調査時(81.669.900人)から絶対数として増えている。
 去る2月、「フランコフォニー国際組織」(OIF)書記長アブドゥー・ディウフ氏(セネガル)は、「フランス語の周縁化」(marginalisation)の危険をうったえ、フランス語の擁護と発展のためのさらなる取り組みを組織加盟国63カ国に呼びかけていた。
 「国際デー」には、世界各地で、フランス文化センター、アリアンス・フランセーズ、OIF、その他の組織、個人の主宰により、さまざまな催しが予定されている。ブラザヴィル、コトヌー、リーブルヴィル、ヌアクショット、チュニスではフランス語書き取りコンクール、ベルリン、ウィーン、アテネではフランス語圏映画フェスティヴァルが予定されており、ポーランドの各都市では「フランス語週間」として、講演会、映画上映、フランス語カラオケ大会などが企画されている。
















 先に述べた理由により、1億7千500万という数字をあくまでも概数としておさえておくことにいたしましょう。英語、中国語、アラビア語、スペイン語、ロシア語が何億何千万であって、それとの比較においてフランス語はどうなのか、という議論もここではやめておきましょう。なにしろ、それぞれについて億単位で異なる数値がさまざま出されていますし、別々に取られた統計数値を比較することほど無意味なことはないからです。われわれとて、日本の人口1億2千数百万であることは知っていても、「日本語使用者」の正確な数となると・・・?

 旧・東京都立大仏文のある先生が書いていらっしゃいます。

  かつてのイギリス植民地帝国、フランス植民地帝国、そして今日のアメリカ合衆国の強大な覇権が、言語的、文化的影響の傘の下におさめた地域を比較し、「何が地球語か?」をめぐって言い争うのは、「バベルの塔」再建の受注入札にもたとえられるべき愚挙である。しかし他方、「外国語すなわち英語」という昨今の日本に染み渡ってしまった世界観が、きわめて窮屈、かつ偏ったものであることもまた事実だ。「国際協力は英語だけで十分」などという言葉は、実際に国際協力に携わった経験のある人間の口からはけっして聞かれるものではあるまい。
 今日、依然として全地球的なものであり続けているフランス語圏は、確かに植民地主義という支配・被支配の歴史が残した負の産物である。だが、そのことは、われわれがフランス語を介して世界をのぞき見ることの妨げにはならない。むしろ、その支配・被支配の歴史を念頭に置きながら、世界のさまざまな国や地域に目を向けることから始め、その土地固有の言語と文化の深層にまで徐々に理解を深めると同時に、入植、領有としての「文化」の実像を逆照射するためにこそ、媒介言語としてのフランス語を意識的、戦略的に活用してゆくべきではないか。
 (東京都立大学フランス文学研究室編『フランスを知る――新〈フランス学〉入門』)
         











  そのとおりだと思います。


ルッソン 5 : 日本ではどのくらいの人々がフランス語を学んでいるか?


 ならば、この日本で一体どのくらいの人々がフランス語を学んでいるか?

 ここでも、一口に「学ぶ」といってみたところで、あまりにもいろいろな形態があるでしょうから(仕方なく取ってしまったフランス語の授業でほとんど寝ている大学1年生から、寸暇を惜しみ、通勤電車の中でCDを聞きながら勉強している社会人の方、あるいは、退職後の余暇として、古い辞書をふたたび引っぱり出してきてラジオ・テレビの講座で勉強しておられる方まで)、おそらく正確な数値は出ないでしょう。

 しかし、ここでも「数値がない」「実態はわからない」とばかり言っていてもはじまりませんので、いくつかの不完全なデータをもとに概数の把握を試みます。

 先頃、石原都知事に対する提訴を報じたフランスの新聞『ル・モンド』には、以下のような記述がありました。

 

1999年から2003年までの間にフランス語を学ぶ学生数は10%減少した。とはいえ、今なお670の高等教育機関のうち500の機関で、24万人の日本人がフランス語を学んでいる。フランス語の衰退には、文部省による第2外国語学習大綱化の決定、多くの企業によって求められている英語教育の重点化、中国語と韓国・朝鮮語の躍進などいくつかの要因がある。

 

  データの出所はわかりません。しかし、ネット上で公開されているいくつかの情報から、これを具体的に検証していくことは可能です。

 まずは文部科学省中央教育審議会の報告によれば、日本の大学でフランス語の授業の実施状況は以下のとおりだそうです。
 

 


  『ル・モンド』紙の「今なお670の高等教育機関のうち500の機関で」というところは、だいたい合っていることになります。

 問題は学生数です。いくら500以上の大学でフランス語の授業が実施されていても、石原東京都知事が東京都立大学について述べているように(かりにそれが本当であるとして)、フランス語を学ぶ学生の数が「数人またはゼロ」、あるいは「調べてみたら1人もいなかった」ということでは、どうにもなりませんからね。

 2002年に行われた別の統計調査結果があります。日本全国660大学にフランス語教育に関するアンケートを依頼したところ、400大学から回答があり、うち80大学は「フランス語を教えていない」という返事だった。つまり320大学からのデータは揃っているわけですが、 

 

320÷400=80パーセント
543÷698=78パーセント

となりますから、フランス語を「設置している・いない」に関わりなく、ほぼ偏りなくアンケートの回答が寄せられたことになります。以下、単純に、320大学におけるフランス語履修生の数が、543大学の59パーセントを代弁する数値であるとみなして処理してみます。
 
  全国320大学におけるフランス語履修者の数 ×(100÷59)=全国推定値 対1999年減少率
1999年 208.648 353.640  
2000年 204.102 345.935  
2001年 199.040 337.355  
2002年 187.128 317.166 10.3%

  こうしてみると、「今なお24万人の・・・」という『ル・モンド』紙の記述は、「30万人以上の・・・」と言い換えてもよさそうです。「1999年から2003年までの間に10%減少」という部分は、そのまま当てはまりますね。

 なお、上の統計数値は、どうやら外国語科目として開講されているフランス語を履修している学生の数であって、学部専門科目あるいは大学院科目の枠内でフランス語を継続して学んでいる学生の数は含まれていないようです。フランス語を専門に扱う学科に在籍する学生は、常時、3万人から4万人存在するという別の統計もありますので、上の数値との重複も考えて、1万5千人から2万人の学生が、もはや外国語科目としてではなく専門科目としてフランス語を学んでいるとしましょう。フランスに留学している日本人学生の数、7.350人(2003年現在)という別の統計結果もあります。ここでは、日本の大学生30数万人がフランス語を学んでいると仮に結論づけておきましょう。

 「でも4年間で10%も減っちゃったんでしょ。やっぱりフランス語は、数も勘定できないし、国際語としても失格しているから、不人気なんじゃないのー?」などと言う前に――

 
  18歳人口 大学入学者数
1999年 155 76
2000年 151 74
2001年 151 73
2002年 150万人 73万人(対1999年、3.9%減)

という、少子化にともなう母数の絶対的減少も考慮に入れなければなりません。また、1998年以降、文部科学省が大学の第二外国語に関する改革を進めており、「第一外国語(大部分の学生にとっては英語)のほかに、もう一語選択必修」という従来の枠が崩れつつある、という全体の流れもあります。つまり、大学生の絶対数と、そのなかで第二外国語の選択必修を求められる学生の絶対数が、ここ数年間で数万人減少した、ということになりますね。

 ここから、もう少し長いスパンで振り返って、さらに乱暴な計算をしてみましょう。

 戦後日本の新制大学における外国語教育は、まさに「(ベルリン分割体制)-(ロシア語)」といった格好で、英・独・仏の三語でスタートいたしました(まさに、石原慎太郎氏が一橋大学でフランス語を「やった」頃ですね)。ここに、中国語、ロシア語、スペイン語、韓国・朝鮮語といった言語が新たに加わってきたのは、比較的近い過去のことにすぎません。18歳人口は一度底をついたけれども、大学進学率の急激な上昇により、毎年60万人以上が大学に入学するようになった1975年ころ、第二外国語の選択枠として、まだドイツ語とフランス語しか存在しない大学がほとんどだったはずです。乱暴ですが、当時、ドイツ語、フランス語を選択する学生がおおよそ半々であったとすると(実際はドイツ語の方が多かったと思います)、毎年30万人の大学1年生が新たにフランス語を習い始め、しかも、当時は文系、理系を問わず、大学2年次でも第二外国語を必修とする大学がほとんどでしたので、優に50万人以上の大学生が毎年フランス語を履修していたものと推測されます。まさに、辞書や語学テキストの出版社の全盛時代ですね。

 それが、今や半減の勢い、しかもこの先、大学入学者数の減少と「選択必修はずし」の普及によって、さらなる減少が予想される・・・となると、なんだか日本におけるフランス語の未来は(ましてやドイツ語の未来は)、少なくとも大学のレベルにおいて「暗ーい」もののように思えてきます。

 しかし、この辺で、よくよく冷静に物事を考えてみましょう。

 日本の大学でフランス語を履修する学生の割合が、「(ベルリン分割体制)-(ロシア語)」時代の「2人に1人」から、現在の「3人に1人」となり、仮にこの先「4人に1人」になりそうだとしても、それ自体「すごいこと」とは言えないでしょうか? 大学における外国語教育の必要性、異文化理解のための教養といったものをもっぱら地政学的にとらえてみた場合、ロシア語、中国語、韓国・朝鮮語、ヴィエトナム語のなかから一つが選択必修とされても不思議はない場所に位置する、この日本という国において、戦後一貫して(それどころか、明治時代にまで遡って)、フランス語が「大学文化」の重要な一角をなしてきたというのですから。

 これからの日本の大学が、「欧米偏重」から「東アジア重視」にシフトしていくとして、それ自体は非常に歓迎すべきことです。英・独・仏からなる「(ベルリン分割)-(ロシア語)」体制が、中・朝・露の「東アジア」体制、あるいは中・朝・越の「漢語文化圏」体制に移行していくことは、地理、歴史、経済の文脈から見て、当然のことではないでしょうか。しかし、だからといって、欧米「偏重」をアジア「偏重」にすげ替えるだけでは何の意味もありません。良きにつけ悪しきにつけ近代世界をリードしてきた欧米に対する興味・理解の枠を維持、発展させつつ、そこに新しい(あるいは明治以来、不当に軽視されてきた)一角としてアジア理解の体制を整えていくことにより、「大学文化」は本当の意味で豊かなものになるはずです。兎にも角にも、
東京都の新しい大学の設置主体が、特定の言語や文化を貶めながら事を運んで行く、その行き着く先には、東京都の、ひいては日本全体の文化的貧困しかあり得ないでしょう。

 ここまで問題としてきたのは、もっぱら大学におけるフランス語学習者の数ですが、フランス語を勉強する場は、もちろん大学ばかりではありません。
 

1,
高校
  日本全国の高校、約5500校のうち
2003年5月1日、文部科学省調べ(学校数のカッコ内は01年7月1日現在と比較した増減数.▼はマイナス) 2004年5月1日、朝日新聞調べ
学校数 履修者数 学校数 履修者数
中国語 475 (51) 19,045 481 17,111
フランス語 235 (20) 8,081 231 6,406
韓国・朝鮮語 219 (56) 6,476 247 6,960
ドイツ語 100 (▼7) 4,275 99 3,397
スペイン語 101 (17) 2,784 136 3,379
ロシア語 21 (1) 478
イタリア語 10 (3) 159
ポルトガル語 9 (3) 102
インドネシア語 3 (1) 40
エスペラント 1 (0) 26

2,

民間の学校
  われらが「クラス・ド・フランセ」のように民間のフランス語学校に通っている人々の数は、約1万5千人と推定されています。
3,
NHKラジオ・テレビ講座
  テキスト発行部数
*単位:万部
*年間最高部数を記録した月(おおむね4月)の発行部数
 
  2001 2002 2003 2004
ラジオ ドイツ語講座 14 12 12 11
ラジオ フランス語講座 14 12 12 11
ラジオ 中国語講座 14 14 14 14
ラジオ スペイン語講座 10 10 10 9
ラジオ ロシア語講座 6 6 5 5
ラジオ アンニョンハシムニカ~ハングル講座 8 8 8 9
ラジオ イタリア語講座 10 11 11 10
テレビ ドイツ語会話 14 12 12 11
テレビ フランス語会話 14 12 12 11
テレビ 中国語会話 15 15 15 15
テレビ スペイン語会話 11 11 11 10
テレビ イタリア語会話 11 12 12 12
テレビ アンニョンハシムニカ~ハングル講座 8 9 9 18
テレビ ロシア語会話 6 6 5 5


















(NHK出版より)


  フランス語は、ドイツ語と同様、減少傾向にあるとはいえ、毎年4月、ないし10月に「よーし、やるぞー」といって20万人以上の人々がフランス語講座のテキストを手にしているわけです。そのうちどれくらいの人々が三日坊主なのかわかりませんが、大学、高校、民間の学校で学んでいるケースとの重複分を除いても、数万人の人々がラジオ、テレビでフランス語を学んでいることは確かでしょう。

  よって、結論(あくまでも「仮の」ですが)――

 

日本では、常時、30~40万人の人々がフランス語を学んでいます。 

  そして、旧・東京都立大学、現・首都大学東京でも、毎年、数百名の学生がフランス語を学んできた(学んでいる)のだとすれば(東京都立大学で平成15年度に延べ1090名、しかも、他の旧・都立大学――科学技術大学、保健科学大学、短期大学――でもフランス語は開講されていました)、都立高校でフランス語を開講しているところも含め、東京都は、毎年、1000~1500人、日本全国のフランス語需要の0.3パーセント(300人に一人)程度を数として着実に引き受けてきた(引き受けている)計算になりませんか?

  謝辞
トゥールーズ=ル・ミライユ大学のクリスティアン・ガラン先生、東京都立大学の石野好一先生より、統計資料の面でご協力いただきました。ありがとうございました。

ルッソン 6 : 石原都知事仏語発言に関する海外メディアの反応

最後に、いくつか、フランス語圏メディアの反応をご紹介しておきましょう。

 

  フランス・ソワール』紙(フランス)2005年7月14日
「フランス語圏は十分元気」

 「今回すべての人がはっきりと確認したとおり、石原慎太郎なる人物は偶像破壊の言辞だけはまったく出し惜しみしない人物です」と、半ば本気、半ば苦笑混じりにユーモア調で語るのは「フランス語圏国際組織」(OIF)のスポークスマン、ユゴー・サダである。「彼の発言は、世界中の2億人のフランス語使用者に対する侮辱である。」よって、先頃、東京地方裁判所に行われた提訴はユゴー・サダの目に「当然至極」と映り、彼は日本の関係当局がこの裁判についてはっきりとした態度表明を行うよう期待を寄せているという。
 だが、何事につけても辛辣な表現をもって習わしとする日本人の大役者を中心に配して繰り広げられている今回の論争を越えたところで、ユゴー・サダは、国際舞台の上でフランス語使用が占める「依然きわめて重要な」地位を強調してやまない。「フランス語使用国際組織」のスポークスマンにとって、フランス語が果たす役割は、もはやことさら正当化の必要さえないものである。「数世紀来、五大陸に根を下ろしたフランス語は、現在80万人近くの教員により、世界550校のフランス語使用の大学で、もっとも盛んに教育が行われている言語です。フランス語を話せるようになりたいという欲求は、とりわけアジアにおいて依然大きい。フランス語は歴としたコミュニケーション言語の一つであり続けているのです。」それが正真正銘の現実なのか、自国礼賛気味の期待感なのかは別として、組織としての公式見解には自然と熱がこもる。(後略)

 

『ル・ソレイユ(太陽)』紙(セネガル、ダカール)2005年7月14日
「それは私のティーカップ――数学=フランス語」、ジブ・ディエディウ:文

 「フランス語は数の勘定ができない言葉で、国際語として失格しているのもむべなるかな」とは、お騒がせ者の東京都知事イシハラ・イタロー[原文ママ]による有無を言わせぬ宣告。去年の10月のことだそうだ。
 これにより、彼は7人のフランス人を含む21人のフランス語使用者から訴えられることとなったと、日本のテレビ局NHKが昨日報じた。検事がこの先、提訴の受理可能性を吟味することとなる〔引用者註――この記述は日本の司法制度には該当せず〕。原告らは損害賠償として3800ユーロと謝罪文の紙上掲載を求めている。彼らの論拠? それはモリエールの言語が世界中で1億8千万人の母語になっているという点だ(仕事の言語、あるいはそれぞれの土地で採用した言語というならわかる。しかし、「母なる」言語とは、ちょっと酷すぎやしないか)。
 それに、フランス語が結構な数の国際組織の公用言語の一つである、という点もある。
どうやらこのイシハラなる御仁は、いわばニッポンのル・ペン[フランスの極右政党FNの党首]のような人であるらしい。1989年には、『劣等感なき日本』[『NOと言える日本』の仏語訳タイトル]という反米文書も書いた。東京在住の中国人、朝鮮人を「三国人」呼ばわりしたこともある。
 今回、彼が一撃食らわしてやりたかったのは、東京都立大学のなかにあって、外国文学専攻の学科、とりわけフランス語学科の縮小案に反対した人々であった。彼の敵対分子は、今回の発言を「フランス語が原始的で幼児的であるという印象を与え、一般世論においてその価値を貶める」ものとみなしている。同時に指摘されているのは、フランス語を話す日本人の数が、ここ数年、中国語、朝鮮語に押されて減ってきていることだ。むしろ、それは当たり前のことなのかもしれない。日本人にとってのフランス語なんて、カメラをたすき掛けにしてパリやエッフェル塔を見に行くためのものなんだから。それに対して中国語と朝鮮語の方は、良き隣人関係と商売のためのものではないのか。
 結局のところ、ユークリッドがかの有名な定理を書くのに用いたのはギリシア語ではなく、非常に研ぎ澄まされた日本語だったということだ。それじゃあ、多くの中高生にとっての頭痛の種たる代数学は? 何を言っているんだい。アラビア人が代数学を人類に知らしめたのは日本語と英語を介してだったんだよ! ともあれイシハラが裁判で有罪となったら、それが判例として定着するだろう。以後、何ぴとといえども、ウォロフ語、ディオラ語、バンバラ語、リンガラ語、フォン語、その他、すべてのアフリカの言語が数学を伝播するには不適格だなんて、もはや言わなくなるだろう。英語とならんで、日本語がフランス語にとっての脅威になる? 人々が日本語訛りのフランス語を話すようになる? その時こそ、世界全土のフランス贔屓、バンザーイ! その日本語訛りのフランス語とやらを擁護し顕揚するサムライになりたまえ!


 ユーモアと皮肉のなかにもパンチの効いた文章です。同時に「母語」「母国語」という言葉の使い方の難しさをあらためて思い起こさせてくれる、貴重な一文といえましょう。日本のメディアが見失って久しいのは、話題の本質を否が応にも浮き立たせてしまう、この皮肉とユーモアの力なのではないか、と思えてきます。

 他方、図らずも今回の提訴と同日のことですが、日本全体にとって到底「笑い話」としてはすまされないような厳しい内容の記事が、石原都知事の実名入りで、『ル・モンド』紙に掲載されました。日本のメディアで、このことが真剣に採り上げられた形跡はあるでしょうか?

  『ル・モンド』(フランス)、2005年7月13日
「国連、日本の外国人嫌いを厳しく指摘」

 制限の厳しい移民受け入れ政策、政治亡命に対する冷たい姿勢(年にわずか10人程度)、人種差別と外国人排斥を禁ずる法の不在など、日本という国は、人権擁護の面で必ずしも成績優秀とはいえない。東京都知事・石原慎太郎をはじめ各界の一線で活躍する著名人らによる人種差別主義的にして、外国に対する侮蔑を含む発言をもって、そのイメージは強まる一方だ。1995年、あらゆる形態の人種差別の撤廃を謳った国際協定が東京で調印されたが、法律家の目から見てあきらかにこの協定に反する暴言が吐かれた場合でも、それを罰する具体的な措置がまったく講じられていないのが実情である。
 国連人権委員会の特別調査官ドゥドゥー・ディエーヌは、先頃、十日間ほど日本に滞在し、差別に苦しむ人々の実例が報告されている地方自治体を訪ねて、公的機関や関連NGOの代表らと面談を行った。(中略)日本政府は、今回のディエーヌ氏の現地調査に「十全かつ全面的な仕方」で協力したという。それでもなおディエーヌ氏の感想としては、日本政府が「差別問題の重要性を認識しておらず、政治の次元で差別の撤廃に向けて動き出す用意もできていないように思われます。重要な公的地位にある人物が外国人排斥熱を煽り立てるような発言を行っても、政府がそれを糾弾せずに済ませているという事実が気になりますね。」
(中略)
 今日、日本が現代世界対応型の国民的アイデンティティーを構築し得るとするならば、それは、自国の歴史から受け継がれた文化的多元性を再発見し、列島内部に住まう民族的マイノリティーが担っている多文化主義を積極的に鼓舞することを通じてなのではないか、とドゥドゥー・ディエーヌは見ている。

 さあ、私たちはこれをどう見ましょう? 単なる暴言の域にとどまらない、根深い問題に繋がっていることは確かなようです。
 「抗議する会」にフランス語で寄せられた多数の賛同メッセージのなかに、「いつの日か、日本が何らかの分野で国際的な地位を得ようなどとする際には、今回のことを間違いなく考慮に入れましょう」という一文もありました。この点を抜きにしては、小泉首相が語ってやまない「日本にふさわしい国際貢献」も、ましてや日本の「国連常任理事国入り」も、ちょっと考えにくいのでは・・・。

 


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