フランス、フランス語、フランス語圏に関する石原語録


2006年4月7日 石原都知事定例記者会見

【知事】〔英語教育など〕いったいどれだけ時間を かけて、どれだけの効果が上がるの。私も小学生のときに、親父に言われて、自分の卒業した幼稚園のドイツ人の宣教師に英語を習いにいってましたけどね。なんの効果もなかったね。それよりも国語の教育をちゃんとやったほうがいいよ。国語の教育。このごろの若い人の国語力の乱れってのはね。日本語を完全にマスターして ね。
それほど英語、フランス語、外国語の達人がいるわけじゃないでしょ、日本に。その人でもなお、自分の専門としている領域の学問で、非常に進んだ外国の知見ってものを吸収しようと思ったら、一番いいのはちゃんとした翻訳で読むことでしょ? それが原文で吸収できる人間なんて滅多にいるもんじゃないですよ。一般的にいえばそれが当たり前で、まず語学力だよ。自分の国語ってものを完全にマスターしてない人間が、日本語を通じていったい、外国の知識にしても、どんなものを吸収できますか。今日の国語の乱れは、君らが書いてるメディアの文章を見たって分かるよ。だから私はナンセンスだと思う、ああいうのは。
   〔・・・〕
英語なんてのはいい加減に使ったっていいんだよ、通じるんだよ。
英語ってのはかなりいい加減な言葉だから、文法にもそれほど詳しくない。例えば "Long time no see." って「久しぶり」ですね。あんなの、言葉を並べただけで、慣用句にもなってないでしょ。それが通じるんだからね。一番いいのは、イギリス人も真似してやったらいいんだけど、南太平洋で流行ってるピジョン・イ ングリッシュ、鳩の英語。あれが一番簡単だよ。 "I go Tokyo three day." 「私は東京へ行く」。"three day past" って言ったら「三日前に行った」。"I go Tokyo three day future." って言ったら三日後に行くんだよ。エスペラントみたいに実に簡単でね。英語なんてその程度でいいんだよ。


2005年11月18日 石原都知事定例記者会見

【記者】あともう一つ、先日、黒田さんと、今は黒田清子さんになられた紀宮様の結婚式に出られて、かなりほのぼのとした披露宴だったと思いますけれども、その中で、知事、すいません、フランスのベルグソン・・・
【知事】あぁ、なんか日刊スポーツに出てたね。記事のためにするみたいな記事でね。だ から私、確かじゃないから、だろうと思いますって言ったんだけど、パスカルなの?
【記者】いや、すいません。それは私もよく。
【知事】それなら反論○○○○、パスカルにこういう文書があるって言ってくれよ、そんなもん。
メディアの程度の低さを示すような記事じゃないか。
【記者】ちなみに知事は定かでないとおっしゃいましたけれども、どっかでやっぱりベルグソンだっていうふうに。
【知事】多分ベルグソンの雑文の中で
読んだような気がするんですよ。有名な論文の中の文章じゃないからね。例えば、『純粋理性批判』とか『宗教問題の諸相』とか(※)、その他この他、私が愛読した本とは違って、ざっと読んだものの、ベルグソンだったかな ってんで私は言ったんで。
(※いずれもベルクソンの著書のタイトルとしては存在せず。『純粋理性批判』はカントの著作)
【記者】分かりました。すいません。
【知事】だから反論するんなら反論して。ここにいるのか、日刊スポーツ。手を挙げて出てこいよ。
お前ら、人に下らん記事を書くんなら、パスカルかどうかってのを調べてこ いよ。それがメディアの責任ってもんだろ。どうなんだい。
【記者】そういう声が上がってるということを・・・
【知事】声があがってるって、論拠を示してくれ、論拠を。ベルグソンなんてあんまり人が読まないからね。パスカルだって読まないんだろうけど。論拠を示すっていうのがメディアじゃないの、あなた。揚げ足取りみたいな、こんな下らん記事を作るなよ、お前。
新聞の品格にかかわるぞ。馬鹿じゃないかと思うよ、こういうのを見ると、本当に。安っぽい新聞だな。


2005年9月16日 石原知事定例記者会見

【記者】アジアの大都市の水道事業の中で、東京都の水道の技術を、協力とかそういうものというのは、アジアネットを利用していく考えはありますか。
【知事】それはこちらも宣伝はしていますしね。ただ、
フランスみたいにいいかげんな国が、かつての統治領だったインドシナ半島で何か事業に乗り出そうとしているけど、フランスの水なんか飲めたもんじゃないしね。みんな、だからエビアン飲んでいるんでね。日本の事業を持っていったら、水量はたくさんあるわけだし、水質の問題もあるかも知れないけど、もっとましな水道事業を展開できると思うし、そういうことを、大都市ネットワークを通じて大いに宣伝もしますし。また向こうの予算、財政の事情があるでしょうけど、とにかく安心して飲める水が非常に少ない。それを供給している国が少ないという現状ですから。お金もかかるかもしれませんが、日本の技術は、大いに東南アジアの人たちに役に立つと思いますからね。
 本当に、どことは言わないけど、あっちを旅行していると、歯磨くのまでミネラルウォーターで磨くという人がいるぐらいでね。まあそこまで気を遣わなくても、顔も洗って顔が曲がることはないが、もうちょっといい水を提供できれば、いろんな心配が減ると思いますな。それは日本の技術はそういう点で最高ですから。



2005年7月15日 石原都知事定例記者会見

【記者】先日ですね、去年10月の知事の発言の「フランス語は数を勘定できない言葉で、国際語として失格しているのはむべなるかなという気がする」とおっしゃったことに対しての提訴がされたんですけれども、それに関するコメントというか、ご感想を聞かせてください。
【知事】
何でも裁判にすればいいってもんじゃないと思う。この中で、大学でフランス語を学んだ人、いる? 手を挙げてごらん? じゃ君さ、20、30、40、50を勘定してごらん。
【記者】おっしゃっているのは、あれですよね。
【知事】20、30、40って何て言う?
【記者】ヴァン…、ヴァン…、20がヴァンですよね。
【知事】しっかりしてくれよ。それで? 40は?
【記者】40…。
【知事】カラント。
【記者】キャラント。
【知事】50は。
【記者】サン…。
【知事】サンカント。それから、60はソワサントでしょう?
【記者】80とかそういうことですよね、おっしゃっているのは。
【知事】いや、ソワサント。ですから、71は何と言うんだね。
【記者】ええ…、ソワサンテ・ディ…。
【知事】ソワサンテ・オンズでしょう。60と11だ。じゃあね、91は何と言うの。
【記者】キャトル・ヴァン…。
【知事】それと11だな。4つの20と11。
これはやっぱり困るんじゃないの。普通だったら、フランスのかつての植民地、例えばタヒチなんか行くと、向こうの原住民はよっぽど合理的で、ソワサント、その後ね、サンク、スィス、セット、ユイット、ヌフ、ディスでしょう。つまり、70=セタントとか80=ユイタントという言葉を彼らがつくって言っているのよ(※)。ね。だから82のときは、4つの20と2なんて言わないの。
※スイスで使われているフランス語でも10進法による数体系となっており、70=セタント、80=ユイッタントという言葉が使われている。
【知事】僕は、フランス人というのは自分の国語に非常に沽券を持っていてね、かつてアカデミーで、コクテール(カクテル)という世界中に普遍してきた言葉がフランス語として妥当かどうかというのを10年ぐらいかかって議論した。これはまあ、一つのプライドかもしらないけどね。
 例えば、電話はこのごろプッシュホンになったよね。昔みたくダイヤルをぐるぐる回すのは別だけど。プッシュホンでポンポンと押していくときに、「ちょっとそこで読み上げてもらいたいんだけど、何番?」と言ったとき、例えば局番が91というときに、カトル…で4を押しちゃったら、もうだめなんだよ。ちゃんと聞かないと。4つの20の11と言ったらね、つまり全部聞かないと。
こんな言葉はやっぱりあかん
 だから、かつて外交官の公用語としてフランス語というのは幅をきかせたけれども、世界が狭くなっていろいろな問題が出てきてね。特に非常に国際関係で重要な要因である科学技術の討論をしたり協定したりするときに、非常に厄介なんでね。
そういうことからだんだん外れていったんですよ。
 私はね、フランス文学が好きで、フランス語が好きで、本当は京都大学の仏文に行こうかなと思ったら親父が死んだんで、公認会計士になりなさいというので、違う大学に行ったんだけどね。リラダンなんて、まあ人が読まなかったことも私は読んでいて、当然訳したことはある。齋藤磯雄さんの名訳がありますがね。
 それから、まあ、死んだ村松剛君と仲よかったし、マルローが来たとき私がアテンドしたりね。私はフランス文化、非常に愛着もあるし尊敬もしているけどもね。こういう時間的、空間的に狭くなった世界で、フランス語の厄介さというのはだんだん疎外要因になってね。結局、私があの問題のことを話したのは、たしか
首都大学東京の改革に反対している先生の多くは語学の先生だった。調べてみたら、8〜9人かな、10人近いフランス語の先生がいるんだけど、フランス語を受講している学生が1人もいなかった。ドイツ語の先生が12〜13人いてね、ドイツ語を受講している学生が4〜5人しかいなかった。たしか、正確な数字は忘れましたけれども。私は、ある慨嘆を持って報告を聞いたんだけども。
 まあこれはね、イギリスが十進法と十二進法のペンスとシリングですか、ああいう通貨の使い分けをしていて、非常にその周りが不便でね。外国から言われて、結局十進法に統一したんでしょうかね。やっぱりそういう努力を、国語の改革というものにも施さないと、言語そのものが、何か不便さで忘れられていくというのは非常に残念な気がいたしますね、私は。
 ということを申し上げたので、フランス語の先生たちはうっぷんやる方ないかもしらぬけれども、
それだったらフランスの政府に文句を言ったらいいんでね。まあ、政府がそれをどう受けとめるか知らないけれども。私はフランス語を愛し、フランスの文化を愛した人間として、先進国の東京の首都大学で語学に対する学生たちの需要というのも、フランス語に関しては皆無に近いということは、残念だけじゃなしに、フランスもそういう事実というものを認めて。私は、それから先どうしろこうしろと言う資格はありませんがね。
 ただ、本当に繰り返して言うけど、タヒチとか、かつてフランスの属領だったところ、今でも植民地かな、あそこに行くと原住民たちは実に合理的にフランス語を変えて使っていますよ。セッタント、ユイッタントということはフランスでは使わないんだけどね。私は、それが生きている言葉だと思うけどね。
 はい、どうぞ。
【記者】その続きで申しわけないんですが、言葉も文化であるということを考えますと、知事がフランスの文化も愛されているということを考えると、ちょっと、パリの市長が日本語について語られたら、やはり私たちも余りいい気持ちはしないのと同じように思うのではないかと。
【知事】いや、批判が当たっているか当たっていないか、真摯に考えるべきじゃないですか。現に、隣の中国なんか、私たちが愛着している漢字というのを合理化して、学びやすい形で、文字というのは普遍していますよ。これに対して、漢字に郷愁のある日本人は「あれは野蛮だ」とか言うかもしらぬけれども。しかし、片方で一理があるんでね。私は、言葉ってのは、かつてのままに踏襲されるものじゃなしに、生きているものですからね。それが文化ってことですよね。
 はい、どうも。



2004年10月19日、The Tokyo U-club 設立総会における都知事の祝辞


いずれにしろ〔東京都立四大学の廃止・統合、新大学の設立を〕実現していこうというふうにすると非常に抵抗がありまして、お釈迦様がかねがねおっしゃっていましたけど、人間てのは物事の変化ってものが一番怖い、新しいですね、事態というものを迎えいれることは、非常にできにくい、本質的に非常に保守的な動物生物でありますけれども、今度のこの大学の構想もですね、先般もなんかあの一部のバカ野郎〔経済学部のCOEグループ〕が反対して文部省の科学研究費、金が出なかった、あんなものどうでもいいです。こういうのを反対する連中はですね、本当に==、保守的というか退嬰的な人たちばかりでですね、誰がどうなのか私はつまびらかにしませんが、いずれにしろその過程で聞きましたのは、ドイツ語の先生が十数人いて受講者が4人しかいない、フランス語の先生が8人いて受講者がひとりもいない。私はフランス語昔やりましたが、数勘定できない言葉ですからね、これはやっぱり国際語として失格しているのもむべなるかなという気がするんですが、そういうものにしがみついている手合いがですね、結局反対のための反対して、高橋〔高橋宏・新大学理事長、当時、理事長予定者〕もいいところがあるんだけれども、これも親分肌で窮鳥懐に入りやがれって、わっはっはってなんでも言うことを聞くから最後にはそこにつけ込まれちゃって==したんですけれども、いずれにしろここまでこぎつけまして、先般もちょっと具体的なことは忘れましたけども、あれもまあこのプロセスの中の、いわゆる反対のための反対しかできなかった連中の笑止千万なですね、なんていうんでしょう、反逆にもならない反逆で、ああいったもの何の痛痒も感じませんが、いずれにしろそういうものを超えて私たち、新しいですね、大学のひとつのパターンとしてですね、作り上げていきたい。


2003年2月12日、東京都議会第一回定例会、石井義修議員の代表質問に対する石原知事の答弁

石井議員――〔・・・〕国語力の低下に対する認識と見解、さらに、ただいま指摘した国語力強化への具体的な提案にいかに対応されるのか、知事並びに教育長の所見を伺います。

知事――今お話の中に、国語を苦手とする子どもが三○%、四○%いるということに、私いささかショックを受けました。今日の日本語が、正当な日本語であるかないかということは、人によって論が違うでしょう。時代が変わり、表現力が変わってくると、国語もまたその影響を受けて、ある世代から見ればわけのわからぬ言葉も流行するということでありまして、
フランスのような国では、非常に保守的でありますから、過剰に自国語に自信を持ち過ぎて、ろくに数の勘定ができないフランス語というのは、やっぱり国際語として脱落していきましたが、しかし一方では、アカデミーは、お酒をまぜてつくるカクテール、コクテールという言葉をフランス語として入れるか入れないかに、十年以上の時間を費やして審議したという事例もございます。

2002年6月19日 東京都議会第二定例会、山加朱美議員の代表質問に対する石原知事の答弁

知事――〔・・・〕日本人は、どうも外国人に接するに非常に不器用で、非常にティミッドで、それがまた相手から誤解を受ける節がないでもないと思います。こういったものは、私たちが住んでいる世界が、 時間的、空間的に狭くなることでだんだん淘汰されていくと思いますし、例えばフランス人のように、 ある意味で非常に頑迷な、片言のフランス語を話すと知らん顔をしてわからないようなふりをする、 そういった国民性、今日ではかなり地方に行きましても、フランス人もまた英語をしゃべらざるを得 なくなって、しゃべるようになりましたし、下手くそのくせに、日本語とか英語をしゃべって近づいてくるイタリアとはかなり対照的なフランスも、大分変わってきましたが、違った意味で、日本はやっぱりそう いう日本人のDNA的な性状というものを自分からも意識して変えていくことで、おっしゃるように、 心のバリアフリーもかなえられていくんではないかと思っております。


                         トップページへ戻る